インフラ屋の戯言

社会に対して思うこと、テクノロジーとアートのこととか書いていきたい

20161009-懐古

Youtubeで予備校講師の動画が散見され、いくつか見て回った。当時、死に物狂いで紙に計算なり、言語なり書きまくっていたことを思い出した。あの頃から見たら、自分はいかに腑抜けになってしまったのだろう。若いうちは、行き過ぎなければ多少の失敗は許されるし、過ちをしかってくれる人もいる。成績が思うように伸びなくても、適切な努力を適切な方向へ向け続ければ確実に結果はついてくる、と背中を押してくれる大人もいる。

これに対して、社会人とは学生よりも基本的には孤独であり、寂しい存在だと思う。自分のことは自分で賄わなきゃならないし、プロジェクトなり営業なり、仕事の面で自分を奮い立たせるのは自分でやらなきゃだし、責任も問われるようになってくると、いよいよ心の拠り所がなくなってくる。

東大新卒の電通社員の女性の自殺が取り沙汰されているけど、この女性も社会のどこかに拠り所があれば、死ぬところまで行かなくても良かったのでは、と思ってしまう。

僕は東大生でもないし、その辺は分からないけど、東大→電通って完璧なルートをたどってきた以上、途中で弱音を吐くことなんて許されない、的な追い込み方とかしてたんじゃないかな。

暗い話題になっちゃった。僕は死にたいと思ったことはないけど、人生が全然上手く行かないなーと思ったこと、直面したことは何度もある。時間が解決してくれたり、自分の努力が思いもよらないところで発揮されたりして、なんとか今まで乗り越えてこれたように思う。

無我夢中で紙に計算しまくっていた時期を思い出して、あの時くらいに、いろんなこと、本気で頑張ってみようと思って記事を書きました。