インフラ屋の戯言

社会に対して思うこと、テクノロジーとアートのこととか書いていきたい

20160811

文章の構成を考えるのは即興で出来るからいいんだけど、内容に膨らみを持たせるのが僕の苦手とするところなので、日本語も器用に操れない為にまとまった文章というか自分が意図した文章が構成するのは本当に骨が折れる。書いてる途中に書こうと思ってた内容が飛ぶってことも結構あるんだけどこれも本当に辛い。なのでテーマ(大まかなもの)だけメモにまとめるようにした。タイトルを日付でしかあげないのも、全体を俯瞰してタイトルを考える労力を削減するため。人のブログ読んでて分かった事だけどタイトルがあるのとないのとでは、内容を推測できる度合いが大きく違ってくると思う。この文章のタイトルも「ブログ書くときのぼくの気持ち」とかなんでもいいから添えるだけでどういう心持で読み進めればいいかわかる。小説の章ごとに名前が割り振られているのと変わりない。

上述で日本語も器用に操れないといったが、最近本当に日本語に悪戦苦闘することが多くなった。相応にさまざまな熟語や言い回し、ことわざ、比喩、倒置がわかって来た途端、次の扉というか新しい日本語の段階がやってきた?とでもいうのだろうか。言語の奥深さを知ることになった。英語にそこそこの時間を避けているものの、日本語の完全な習得がままならないようでは英語はいつ終わりを迎えるのか見当もつかない。言語の本質的な理解は自分でさまざまに利用することにあると考えている。読む書く聞く話す、の4つの中で圧倒的に「話す」のレベルが高い。言語習得には「話す」を乗り越えるための読む書く聞くなのだというのは僕なりの見解だ。

日本語、英語問わず言語の運搬能力の向上は知能の向上ひいてはコミュニケーション能力の向上につながるのでこの先も努めていきたい。