インフラ屋の戯言

社会に対して思うこと、テクノロジーとアートのこととか書いていきたい

20160729

facebookとかTwitterとかを色々徘徊してたら、ウィットに富んだ記事、投稿を見つけては目が醒める思いをする事がある。一方で、自分も何かそういう記事を何か書こうと思っても、パッと筆を取る事が出来ないもどかしさを覚えたりする。これは単に自分に文章編纂の能力が無い為だと考えるが、語彙力の無さとか前提知識の欠落等も多くある為か、など推察したりするが結局のところ、学の問題だといつも容易に結論づけている。

どんな分野に対しても突出して書ける記事とかはなく、こういった日記を書いてもごくごく普通の文章になってしまう、気がする。僕は僕にしか書けない文章が書きたいのではなく、広く一般に受け入れられ、それが議論の起爆剤にでもなるような文章を書けるようになる事が小さな目標としてある。
話は逸れるけれども、とある学者が1人の'大'学者を頭が良すぎる、人間的な魅力に溢れていると賞賛しているのを見聞した。学者が他の学者を誉めるという事象を目耳にしたりする事があまりないので(というか学者は本質的な意味で他人なんか誉める事などないとか勝手に解釈していた)、そんな事もあるのかと思うと同時に何故かそういう言葉に救われる思いがした。
そこに人の能力を認める事の尊さの様なものを感じた