インフラ屋の戯言

社会に対して思うこと、テクノロジーとアートのこととか書いていきたい

日本が置かれている世界的な立場と英語教育

ブログの良さは、画面遷移の関係上、他のSNSと違い瞬時に発信が行える思考に持って行きやすいと感じる。twitterFacebook、インスタなどはアプリやブラウザを開いたとき、興味の対象が最上位のフィードに投稿されていたりすると、そこから別の広がりや関係性を模索したり派生したりして時間を要することがある。

 

さて、2016年頃から今にかけて日本は、景気動向指数や消費者物価指数といった具体的な数値上は伸びているように見えるけれども、実質的な景気や企業、国力発展といった部分において、国民の視点からすると停滞していると思っているひとが少なくない。適切な人材が不足していることや、教育のあり方に問題があってそれが成長を阻害する要因の一つになってしまっている。

日本において、一番大事な教育分野は英語だとまことしやかに唱える教育論者はいまだに一定数いる認識なのだが、早期からの英語教育ほど(こと日本においては)生産性の低いものは類をみない。最近よく目にするのはなぜ中高6年英語を習ってまともに英語を喋られる人材が少ないのか?という問い。

これは幼い頃から内容の伴わない英語を考えるせいで、日本語からの変換ができないケースが多いのだと思う。

上に述べたとおり、小学校からの英語教育は全くもって反対で、小学校の間は国語と算数・数学だけ特化しておけばそんなに問題にはならずに英語ができるようになる。中学は英語が必修なので避けられないが、基本的に中学で学ぶ英語など教える側の主観だけを盛り込んだ欠陥だらけのカリキュラム。this is a pen.  とか I am Tom.  とか日常で使わない文章を例文に置き換えて教えるのだから一般的な中学生にイメージがわかないのも無理はない。なので学校での英語なんてテストで点取れるだけ適当に勉強したらあとは洋書読んだりTED見たりして実際に英語がどのような運搬がなされる言語なのか日本語に置き換えつつ、比較しつつ学ぶというようなアプローチをとれば非常に能率が上がるし、言語体系としての英語も身につきやすい。

 

このご時世、英語ができないのはグルーバル人材として置いていかれるよと心ない英語教師はぼやいたりするのだけど、そういう教師に限って英語を学ばなければならなければいけない本質がわかっていないものだ。本当に大事なのは日本語でじっくりものを考えられる国語力と、それを裏打ちする論理性を身につけるための数学だ。

 

海外留学を志す若い学生や中年層が増えつつあるが、ただ旅行を楽しみたいだけならゴールや目標は比較的楽に到達できると思う。ただ、グローバル人材となると、経済やテクノロジーの専門性の高い知識を交えつつ論理に矛盾なく話す必要があるため、語彙と論理は徹底的に追求しなければならない。

日本は再興する国力は持っている。あとは個人が主体性を持ち、今自分が取れるポジションを全力で保持し、常に新たな価値観を受容しつつ、客観性に飛んだユニークな人材を目指し続ける人が少しでも増えることで自ずと国家や個人の先が見えてくると私は思う。