20160625
一歩外へ出れば喧騒とした社会は、休日の自宅での穏やかな読書の時間によって僕自身の記憶の断片から一時的ではあるが、消去される。
時間は有限であることなど改めて述べるまでも無い、決定的な事実だが、思考の高速化を計ることでその間隔は多少なりとも延長される。
しかし、この思考の高速化というものがやはり非常に厄介で、凡人が適当な努力を積み重ねるだけでは到達できない境地が確実に存在し得る。
経験から得られた知識で既存の問題解決への時間短縮を図ることに関しては、思考の高速化という言葉は当てはまらない。
当人が未知の問題や事象に立ちはだかったときに、さまざまな要因(知識、知恵、経験則等)を総動員して解決策を1から導き出すことにこの言葉は用いられるべきである。
ただここに至るまでに、「経験から得られた知識で既存の問題解決への時間短縮を図る」という手順を幾度と無く繰り返す必要がある。
地盤が緩やかなところには家が建たないのと同じで、人間の柔軟かつ高度・高速な思考力を身に付けるには、膨大な経験的知識をインプットしておく必要が不可欠である。
希望を失わず、毎日邁進し、emergenceを起こすことができるか?というのが最近の自分に与えられた命題だと思っている。